最近は、スマホでライブ配信をしながら歌っている。
少しずつ、聴いてくれる人も増えているみたい。
だけど、本人はよく
「自分なんてまだまだ…」って言っている。
プロの音源ばかりを聴いているし、
自分と同じように配信している人たちと、
どうしても比べてしまうらしい。
「下手だし」
「緊張しちゃうし」
「もっと練習しないと…」
そんなふうに言う娘に、リスナーさんが
「褒められたら、素直に喜んでほしいな」って
言ってくれたことがあったそう。
その気持ち、すごくよくわかる。
僕自身も「想いを伝えること」に関して、
できていない部分ばかりを見てきたから。
でも、こうも思うようになった。
“上手に歌いたい”というのと、
“伝えたい”というのは違う。
“緊張したくない”、というのとも、また違う。
伝えたいものがあるなら──
声が震えていても、
コードがずれても、
それでも、伝わる“何か”が、たしかにある。
ドライブ中にそんな話をしていた時、
僕は娘に、こんな問いを投げかけた。
「素敵な声の人や、すごい演奏の人がいたら、
それは“お前がやらない理由”になるの?」
すごい人がいるから、自分はやらない。
うまくできないから、やらない。
その選択が、どれだけ大切な何かを遠ざけてしまうか──
僕も何度も、痛いほど味わってきたから。
今、こうしてSNSに投稿しているのも、
誰よりも、自分自身に向けて、
問いを投げているところ。
「想いはあるけど、どう形にしたらいいかわからない」
「言葉にならないまま、胸にしまっていることがある」
そんな人に向けて、
少しずつ準備していることがある。
“売るための仕組み” というよりは、
“あなたらしい声” を自然に届けるための、
小さな道しるべのようなもの。
でもまだ、
全体像を伝えられるほどには、なっていない。
だから今は、投稿という形で、
自分の暮らしや感情を見つめ直しているところ。
自分の“音”を、
もう一度チューニングしながら。
もしかしたら、この投稿を読んで、
「何のために書いてるんだろう?」って、
思った人もいるかもしれない。
でもそれを感じてもらえるくらい、
余白のある言葉で届けたいと思ってる。
そして近いうちに──
この言葉たちが、ちゃんとした「形」になって、
誰かの一歩を、
そっと後押しできたらいいなと思ってる。
もし、あなたの中にも
まだ声にならない“想い”があるなら、
それはきっと──
あなただけにしか出せない“音色”が、
そこにあるということ。
耳を塞いで聞こえないふりや、
誰かの“好き”に振り回されたりせずに、
“あなたの音色”に耳をすませてあげて。
僕もまた、誰かに届けるためにではなく、
自分のために静かに──
音にならない音色に、
そっと耳を澄ませていたい。
しじまの中で、まだ名もなき想いが、
ゆっくりと育っていくように。
── Atsushi
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