自分だけだと思っていたけれど、
もしかしたら娘もずっと
その“あわい”を生きていたのかもしれない。
去年の春、娘がぽつりと言った。
「4月から、学校に行こうと思う。」
中学生になって担任との相性や
周囲との距離感もあり、
誰とも仲良くなれず、
自然と学校から足が遠のいた。
平日の気晴らしのドライブの帰り道にも
下校中の同世代の子たちの制服姿を見かけると、
シートの陰に隠れてしまうような日々。
「お前は何も悪いことしてないんだから」
と言いつつ、そんな言葉で本人の気持ちが
軽くなるわけじゃないことも僕はわかっていた。
そんな娘が、
「学校へ行く」と言い出した背景には、
フィリピンで過ごした時間が
大きかったんじゃないかと思う。
現地の先生たちはいつも笑顔で迎え、
彼女のどんな小さな変化も見逃さずに、
やさしく寄り添ってくれた。
最初はか細い声で「Yes」と返すだけだった娘が、
いつの間にか人前で歌い、
スピーチをやってみるまでになった。
少しずつ自信を取り戻していく姿を
間近で見られたことは、
親として、何よりも嬉しかった。
そしてもうひとつ。
きっと背中を押したのが茨城の一言主神社。
フィリピンでは温泉には入れないから、
日本に帰ってきてからは、
ドライブがてら神社に行ってから温泉に入る
という日が週1ペースで続いた。
さっきの同世代の子達に会ったのは
その帰り道での出来事。
「3年生は、頑張ってみる」と、
「一言だけの願いを叶えてくれる神様」に
願ったその一言が、
娘の小さな覚悟だったのかもしれない。
新学期、娘は別室登校を続けながら、
毎日「その場にいること」に挑戦していた。
会話はなくても、
確かにそこに“意志”があったと思う。
担任の先生にも恵まれ、
養護教諭の先生の愛情に救われたけど、
それでも1学期が終わっても
何も変わらなかった。
少なくとも外側ではそう見えていた。
でも10月の修学旅行は行きたい。
ダメだったらまたその時考えよう。
そんな会話をして過ごした。
がっかりして帰ってきても
いつも通り接しようと思っていたら──
修学旅行から帰ってきた第一声は、
「すっごく楽しかった!」
いい友達たくさんできたよ!」
だった。
その言葉を聞いたとき、
何とも言えない気持ちになり、
僕の心はぎゅっとなった。
一瞬で現実は変わるというけれど、
それまで形にならない内側の変化を
日々繰り返してきたのを知っているからだろう。
そしてしばらくして、娘はこう言った。
「私のわがままで、1年延ばさせてしまってごめんね。」
でもそれは謝罪というより、
「いま、毎日が楽しいんだよ」
っていう喜びの裏返しだというのも知ってる。
そんな変化を見続けられたこともあって、
この1年、僕にとっても特別な時間だった。
いつも何かを変えるとき、
「全部を手放す」
ことしか知らなかった僕が、
「残しながら変わる」
ことをはじめて経験できた。
急がず、焦らず、
とどまり続けることで
内面の変化が訪れるのを待つ。
そして、
それでしか生まれない変化がある。
それを教えてくれたのは、
他でもない、娘だった。
僕にとってはかけがえのない1年。
もしかしたら──
あなたにも誰にも言わなかった
そんな“静かな変化”が
あったかもしれませんね。
それがどんなに小さな変化だったとしても、
それを見つめ、受け入れてきたあなたに、
静かに拍手を送りたくなります。
今日も一日、おつかれさま。
── Atsushi
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