【 1|あわい(間)に身を置く】

この1年間、SNSもブログも何も書かなかった。

というよりも、ほとんどSNSを開くことがなかった。

ただなんとなく目に入ってくる広告が、

ノイズと感じるようになったり、

必要不要の選択をすることをしないまま受け入れる、

大量の情報に酔ってしまったというのもあるけれど、

正確に言えば、

自分の中に空白や隙間を作りたかったのだと思う。

考えること、進めること、毎日のルーティン、

やるべきことは山ほどあって。

相変わらずワンオペ子育てをしながら、

新しいプロジェクトにもいくつか関わってきた。

でも、こと“言葉”に関しては、

ずっと内側で留めていたくなった。

伝えたいという欲求がもともと高い人間ではない。

それに、言葉として発したその瞬間に、

そのとき自分が感じていたものと、

まったく別のものに変わってしまうような、

そんな感覚もあったから。

だから、言葉にしないことで、

自分の内側で起きていることが

ゆっくりと沈殿していくような時間が、

必要だったんだと思う。

そして今、またこうして何か書こうと思った。

2週間後に、家族でフィリピンへ移住するから。

なんでこのタイミング?と思うかもしれないけれど、

僕にとっては、

10年前から子どもたちと

10カ国以上旅してきた中で、

自然とご縁が繋がってきた国のひとつ。

5年前にもそのタイミングはあったけれど、

コロナで断念した。

新しいビジネスをやろう、

という気持ちももちろんあるけれど、

それ以上に、生活のあり方、働き方、

そして“これからどう生きていきたいか”を

何度も問い直した結果としての、静かな選択。

フィリピンでは法人も設立したし、

本当は昨年から移住する予定もあった。

娘が人間関係に悩み、学校に行けなくなっていたから。

他にもいくらでも選択肢はあるから、

別な経験をさせてあげたい。

そう思って、長期留学を兼ねて移住しようと決めた。

でも、彼女は勇気を出して、3年生は1年間通うと決意した。

だから、卒業を待つことに。

空家賃を払いながら。笑

「私のわがままで1年延ばさせてしまってごめんね」

と言われたけど、

毎日、友達と電話したり、一緒に出かけたりして、

本当に楽しそうに過ごす姿を見られたのは、

うれしい誤算だったよ。

様々な経緯を知ってくれていた人からは、

「ついに行くんだね!」と言ってもらうこともある。

でも、そういう達成感や目標達成みたいな感覚は、

実は全くない。

むしろ今の自分にあるのは、

“あわい(間)”という感覚。

終わったわけでも、始まったわけでもない。

境界でも、断絶でもない。

“移ろいのなか”に、ただ身を置いているという感覚。

あわいというのは、日本的な感覚だと思う。

ただの空白や空間ではなく、

その間に生まれる関係性や、変化の余地。

確定しないことへの肯定。

「まだ何者でもない」という状態を、

否定せずに受け入れている時間。

約10年間、子どもたちを1人で育ててきた。

下の娘が中学校を卒業し、

少しずつ「親としての関わり方」も変わりはじめている。

だからと言って、自分の人生を再スタートするような

高揚感があるわけでもない。

ただ、何かが確かに、

静かに動き出しているという予感がある。

こういうタイミングって、

後から言葉にしようとしても、

きっとうまく言葉にならない。

そのとき、何を考えていたのか。

何に迷っていたのか。

何を信じようとしていたのか。

だから今のうちに、残しておこうと思った。

誰かのためというより、自分のために。

でも、もしかしたら——

今、何かの境界に立っている誰かの心に、

この言葉が、風のようにふっと届くことがあるかもしれない。

この投稿が、そんな誰かの静かな時間に、

そっと寄り添えていたらうれしい。

ここまで読んでくれて、ありがとう。

今日も一日、おつかれさま。

── Atsushi

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

目次