【 3|“手間”の置き場】

移住のことは、何度か考えてきた。

でも、コロナがあったり、

去年は娘のことがあったりして、

そのたびに「今じゃない理由」があった。

日本は、安全で、便利で、快適だ。

正直、このままでも困ることは何もない。

「どうしても行かなくてはならない理由が、ない。」

「だからこそ、それを選択してみよう。」

ふと、そう思った。

そんな理由だから夢が叶ったとか、

どこかを誰かを目指していたわけじゃない。

憧れる人もいないし、

尊敬してやまない師匠もいない。

フィリピンでなければならない理由もない。

強いて言うならご縁があったということくらい。

そんな大した理由ではないからこそ──

これからも淡々と過ごす日々の暮らしを、

自分の手で選びなおしてみたくなった。

あわい(間)という言葉を使っていて

ふと、思い出したメッセージがある。

『3つの間』を大切にしなさいと、

教えてくれた人がいる。

『時間』、『空間』、『仲間』の3つ。

時間も場所も人も自分で選べること。

これが出来ると幸せで自由だと、

きっとそういうことだと認識してる。

ただ僕は──

もう一つ“手間”という『間』を加えたい。

『手間』って、不思議な言葉だと思う。

手と手の間──と書く。

その間にあるのは、たぶん、『心』だろう。

誰かのために手間をかけるというのは、

心を尽くすということだと思う。

僕も、これまでたくさん手間をかけてきた。

子どもたちのこと、

ビジネスパートナーのこと、

クライアントたちのこと。

相手のことを想って、

何かを整える時間には、

たしかに自分なりの愛情があった。

でも、ふと立ち止まって考えた。

自分には、ちゃんと手間をかけてきただろうか?

誰かのことはよくわかるのに、

自分の気持ちがよくわからない。

そんな瞬間が増えていった。

「自分を丁寧に扱う」

そんな当たり前のことが、

いつの間にか後回しになっていた気がする。

一番側にいる自分を一番最後に。

最近は、何でも時短できる。

AIを使えば、あっという間に文章も整う。

便利で、効率的で、すごく助かる。

でも──

手間を省くことに慣れすぎると、

“心をかける感覚”まで

一緒に手放してしまうような気がした。

子育ても、仕事も、料理もきっと同じだ。

どうせやれることしか、やれない。

だからこそ、やれることは

心を込めて、精一杯やる。

そしてやったら、手放す。

それをどう受け取るかは、もう相手の問題だから。

もちろん、相手の感性も大事だと思う。

でも──

相手や周りに褒められることや、

報われることだけを期待しなくてもいい。

今、この瞬間に心を込められていれば、

それだけで十分じゃないか。

自分のために、自分の時間を使うこと。

自分に手間をかけること。

それは、特別なことじゃなくて、

これから大切にしていきたい

“暮らしの一部”だと思う。

──あなたは今、

誰のために手間をかけていますか?

そして、それと同じくらい、

いや、それ以上に

あなた自身にも

たくさん手間をかけてほしい。

僕も、

「心の赴くままに。自由に、軽やかに。」

そんな生き方を取り戻すための旅を、

少しずつ綴っている。

今日も一日、おつかれさま。

あなた自身に手間をかけてあげられたなら、

きっと、それだけでじゅうぶん。

── Atsushi

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

目次